日本とサラマンカ

スペインの首都マドリッドから西へ200kmほどの西にあるサラマンカは、ユネスコから世界文化遺産にも逸早く指定された、今も中世の面影を残す美しい大学町である。その大学は、12世紀の中頃に同市の大聖堂の中に設けられた学院が徐々に形を整えて拡大を続け、やがてスペイン第一の学府となり、16世紀には既にヨーロッパで最も古く、かつ権威ある大学のひとつに数えられていた。

頃はまさに大航海時代で、4つの海に勢力を伸ばしていたスペインは、世界最強の帝国だったが、この大学の教壇からは、人間の平等、特に征服した新大陸の先住民たちの人権尊重が強く叫ばれていた。それは、植民者たちの行き過ぎを厳しく批判する人たちを鼓舞して、やがては植民地法制の大改正につながったし、また今日の国際法の基礎ともなったのである。

そしてその頃、新大陸の各地には、この学府をモデルとした大学が次々と設置されていった。
ところで、この町の大聖堂には、その中に大学が設けられていた頃からのものも含め、古いパイプオルガンが幾台か保存されているが、中央の祭壇に向かっての両側には、所蔵オルガンのなかの最も大きな2台が配置されている。一つはルネッサンス期の、もう一つはバロック期の代表的な逸品だが、前者はかなり前から壊れたままとなっていた。

これを、十数年前に中世ヨーロッパのオルガン研究のためスペインを旅行していた日本人のオルガン制作者、辻宏氏(故人)がみて慨嘆した。そして、西洋音楽史上に特異な地位を占めるスペインの古いオルガンがこのような状態にあることはいかにも残念であり、できることならこの修理を自分で手がけてみたいと大聖堂側に申し出た。

それから数年後、彼の発意は、1985年2月にサラマンカを初めてご訪問になった皇太子同妃両殿下、特に美智子妃殿下の温かいご理解をいただき、さらに内外の関係者の賛同を得るに至った。こうして、88年の末には東京で募金のためのコンサートが開かれたほか、スペイン進出の日本企業等が資金を提供し、抜本的な大修理が約1年にわたり、彼の手によって実施された。その結果、ルネッサンスの妙音は1990年3月、みごとに蘇って大聖堂のドームに響きわたったのだった。スペインの新聞は、文化財の復元への日本の協力としてこれを称え、NHKテレビもスペイン国営テレビと同時にこの記念演奏会の模様を日本に伝えた。

この反響は少なくなく、修復者が在住していた岐阜県では、新しい県民会館内のコンサートホールのために、このオルガンの複製の作成を彼に依頼し、県民へのアンケートの結果に基づいて同ホールをサラマンカホールと命名した。さらに、同ホールの正面入口を飾るために、サラマンカ大学の象徴ともいうべき、プラテレスコ様式の最高傑作とされる正面玄関や大聖堂入口石彫のレリーフの複製作成斡旋をサラマンカ市に要請した。

これを受けて、サラマンカ近郊のビリャマヨール村の石彫技術者が、日本の公共施設に相応しいようにしたいとの岐阜県の希望にしたがい、モチーフの一部を修正した上で、原物と同じ石材を使用して、彫刻にとりかかった。石彫は、3年近くの歳月をかけて97年6月にみごとに完成し、98年3月岐阜市のサラマンカホールに取り付けられ、紀宮清子内親王殿下のご台臨のもとに披露式が行われた。

これよりさき、1989年に即位された天皇皇后両陛下は、1994年10月、スペインへの公式ご訪問の際にサラマンカへ再びお立ち寄りになり、同地の大聖堂で修復なったパイプオルガンの演奏をお聴きになって後、サラマンカ大学を再度ご訪問になった。

両陛下がサラマンカにお示しになったこのご関心は、市当局を始め、大学関係者の日本に対する親近感を一段と高め、それが同大学での日本語および日本文化の講座の開設、さらにはその受講者と、日本からの留学生との交流等をも図るための日西センターの設置計画となって結実していった。そしてこのセンターに、大学は同学所有の16世紀のサン・ボアール宮をあてることとし、その復原改修工事が進出日本企業や諸団体の協力を得て約2年間にわたり実施された。

1999年3月、大学は見事に完成した新センターの開所式を盛大に挙行し、その中央サロンの壁に付した「美智子さまホール」の命名盤を除幕した。これに先立って日本では、1997年12月、同大学における日本語および日本文化の教育の進展と同センターの活動に協力するために、日本サラマンカ大学友の会が設立され、センターの開所以来、毎年講師の派遣や書籍の寄贈等の活動を活発に行っている。

2013年6月 皇太子殿下がサラマンカ大学をご訪問になりました。

午前中に、皇太子殿下が「歴史的建造物」にご到着、Fray Luis de Leon講義室、大学講堂、図書館古文書等をご覧になり、「水」に関する研究プロジェクトに携わるサラマンカ大学研究者とご歓談されました。
また、徒歩にてパティオ Escuelas Menores へ移動され、中世のプラネタリウム、「サラマンカの空」ご見学になりました。
その後、 Libreros通りの天皇皇后両陛下のご訪問記念碑をご覧の後サラマンカ市役所へ。
記念昼食会はサラマンカ大学のフォンセカ大司教学舎で開かれました。
夕刻には、サラマンカ大学研究活動の展示“海洋と時間”をご見学後、サラマンカ大学日西文化センターご訪問されました。
日西センターでは、美智子さまホールにて開催中の“イダルゴと侍”の展示および図書室を丁寧にご覧いただきました。

サラマンカ大学および同大学日西センターでは、皇太子さまのこの度のご訪問を心より歓迎しました。

 

大学のホームページには、ご訪問のご様子がご紹介されています。
http://saladeprensa.usal.es/webusal/node/32917